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好き好き病

2015.10.27

本日2回目の投稿。はじめてですが、気になっていることを。

ネット上のつぶやきが流行りだし、リア充という言葉が言われ出してからずいぶん経ちます。

 

今の状況が好き、みんなが好き、自分が好きと、とにかく大好きだと声に出して言うことがいいような風潮。

たしかに「死にたい。死にたい。」などネガティブなことばかりを聞かされたくはない。

しかし、好き好きと言い続けていることには歪みがある。

金子みすゞさんの詩に「みんなを好きに」があります。

 

 私は好きになりたいな

 何でもかんでもみいんな。

葱も、トマトも、おさかなも、
残らず好きになりたいな。

うちのおかずは、みいんな、
母さまがおつくりになったもの。

 

私は好きになりたいな、
誰でもかれでもみいんな。

お医者さんでも、烏でも、
残らず好きになりたいな。

世界のものはみィんな、
神さまがおつくりになったもの。

 

すばらしい詩なのですが、みんなを好きになることはできません。

言い換えればできなくはないが、好きになれば嫌いになることもある。好きと嫌いは表裏一体なので、どちらかにこだわることがそもそもバランスが崩れている。

好き好きと言うほど、自分の中の嫌い、もしくは嫌いほどではないが好きではないというのを押し込めてしまっている。それが身体の不調として出てくることもあるでしょう。

私はレコードの音が好きですが、数十年前のアンプを使っているので壊れやすい。

機嫌よくなってくれているうちはいいのですが、調子が悪くなると聴いていられない歪みが鳴り、芯から嫌になる。好きが高じればそれが何かで崩れたときに嫌になる。

だから好きは好きとして好きにこだわることはないと思っています。

 

ポジティブ一辺倒もネガティブ一辺倒もこだわりがある。人を好き好き言うのはなぜなのか。反対に嫌い嫌いというのはなぜなのか。どちらも根っこは同じように見えます。

好き好き言うのは嫌われたくないから、そんな自分が嫌いだから。嫌い嫌い言うのは好かれない自分を守りたいから。

好き好き言う人は「お前らみんな大嫌いだ!」と叫んでみるとすっきりするのにと思いますし、嫌い嫌い言う人は、「実は大好きだ!」と叫んでみるとこれもすっきりするのになと。

先ほどの詩の作者のみすゞさんは26歳の若さで自殺しました。

封建主義のはびこる、しかも山口の仙崎という田舎では女性が自分の主張をすることは難しかったのかもしれません。しかし、「みんなみんな大嫌い!」と言えたら、たとえ望みどおりにならなくても境遇を受け入れていけたかもしれません。清濁併せ呑むと言うように、好き嫌いも併せ呑めたら、つまり片方にこだわらず滞りなく揺らいで行けたら、好きでも嫌いでもどっちでもいいよ、くらいでいられたら死なずに済んだだろうと。

 

好きを、嫌いを強調すればするほど、私はその言葉を信じません。言葉よりもその人の思いを直接に見ます。

よく野球選手の引退会見で聞かれる、「どんな野球人生でしたか?」との質問に2種類の答え方があるように思います。「おかげさまでとても楽しく、充実した野球生活でした。」「楽しいことはまったくありませんでした。どうしたらうまくなるかだけを考えていました。」というもの。

実はどちらも、正確ではないし、おそらく両者ともにあまり変わらないのではないかと思います。

苦しさのない楽しさはないし、その逆もしかり。苦楽はお互いを包含しています。

一方を強調するのはリア充ではないことを意味していると見ていいでしょう。

 

そもそも、リア充とはリアル(現実)が充実しているという意味でしょうが、リアルはそもそもが充実しているものでしょう。リアルはリアルであるだけで充実している。そこに強調すべき何物もありません。本来、付け加えられたり差し引かれたりするものは何もないのです。強調すればするほど、どこかに歪みがやってくる、それは当然のことです。

とりあえずうしおの写真。これぞリア充。

 

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