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一人ある技術

2016.02.13

>98歳のおばあちゃんが家でしていること 歳をとるという現実

 

この記事にある映像作品のタイトルは「ジャンク・メール」。

ジャンク・メールとは、たいていのダイレクトメールやチラシ配達員によって投函される迷惑な郵便物のこと。

介護施設では、仲間と楽しそうに過ごしているおばあちゃんが家に帰ると、ジャンク・メールをちぎっては捨てている。

とくに意味のない作業だが、そうしないと孤独に耐えられないからだ。そうやってかろうじて自分を保っている。

 

はたから見れば一般の孤独という人よりは仲間に恵まれているように見えるだろう。

実際にそうだと思うが、本人の孤独感は本人の感じ方による。

>映像の中で出てくる言葉「because still alive(だって、まだ生きているから)」が胸を打ちます。誰もが日々に追われ、忙しい毎日を送っています。それでも、大切な人に会いにいくこと、その重要さに改めて気づくのではないでしょうか。<

記事の最後はこのようにしめくくられている。胸を打たれるのはたしかだが、私ならこう書くだろう。

”映像の中で出てくる言葉「because still alive(だって、まだ生きているから)」が胸を打ちます。誰もが日々に追われ、忙しい毎日を送っています。それだからこそ、一人あること、その重要さに改めて気づくのではないでしょうか。”

孤独死がかわいそうだという見方が皮相的で偏っているということは以前に書いた。これも同じで、一人あることを学ぶこと、それこそがもっとも重要なことだ。一人で生きるのがいいわけではない。一人”で”いいのではなく、一人”でも”いい。

子どものころから誰も教えてくれず、学ぼうとしないもの。これが一人ある技術だ。

友だちをたくさん作りましょうということは言われても、一人でいることを味わいましょうとは言われない。

そもそも、一人あることが豊かであるということが思いつきもされていない。「いや、俺は一人が好きだよ。」と言う人も、その内実は人間関係のストレスの気晴らしに読書したり、音楽を聴いたり、何かをすることで時間をつぶしているに過ぎない。何もせずに座っていられるだろうか。そんな無意味なことはできないし、耐えられないというのであれば、一度も一人であったためしなどない。

一人ある状態とは瞑想の状態と同じで、言い方を変えているにすぎない。今、この瞬間を批判もせずにただ味わっている。退屈は、今、この瞬間から逃れようとするときに起こる感情である。

一人あることができずに他者を求めるとすれば、それは他者を利用しているだけではないだろうか。

寂しい者同士が会っても寂しさは埋まらない。宴の後の寂しさというように、紛らわされただけでいつまでも寂しさは残る。一人でいられない者は、他者ともいられないのではないか。一人を味わえる者は他者をも味わえる。味わうという能力に自分と他者といった違いはないから。

一生で学ぶべきは一人あることだけだと私は思う。一人あることはとてつもなく豊かであり、aloneの語源がall oneであるように、欠けたるもののない一がある。

 

「人間はそんなに強くないから。」という反論が必ずあるもので、しかし一人あることは強さでも何でもない。

強さ弱さを言う人は、すでに述べたように、一人あることが豊かであることを夢にも信じられないからである。

人は一人では生きられないという。たしかに物質面では互いが依存して生きている。コンビニがなければ不便だし、電車がなくても困る。自分では電車は動かせない。しかし、そのことと一人あることとを混同してはならない。

 

某政党の人が戸別訪問でやってきた。ドアを開けずに「どちらさま?」と聞いたら、街頭で聞かされるステレオタイプの政党の主張を述べている。面倒なのでポストにチラシを投函するように言うと、しばらくしてまたインターホンが鳴る。「ポストはどこですか?」。ポストが隠れているわけではない。しかし、その程度の視野狭窄なら、主張も同程度に視野狭窄。自分の言葉で語らずに、他者の主張をオウムのように鵜呑みにしてしゃべっているだけ。これもまた、一人あることのでできないことを証明している。

ドアを開けてチラシを受け取り、しばらくちぎっては捨ててをやってみた。主義はいらない。

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